2016-06-2ミッドナイトサン
夏至が近づいてきました。今年は、暦では6月21日火曜日ですが、フィンランドでは、その週の週末6月24日25日は祝日で休みです。一斉に人々は故郷へ向かいます。日本では白夜祭と訳されて、言われていますが、地方都市各地で催しがあります。
最近10年近くこの季節には、フィンランドを訪れていませんので時代と共に、過ごし方が変わってきているかも知れませんが、日本のお盆のように、故郷へ帰る習慣に変わりはないと思います。土曜日の夜には、各地方の湖、あるいは川沿いでユハンヌスコッコ(真夏の篝火)が灯されると思います。北欧の人々だからこそ感じる夏を迎える喜び、或いは、この日を堺に日没がだんだん早まり、やがて長い冬が又近づいてくることを、炎を見つめながら思うのかも知れません。私も、2年半程しか住んでいませんでしたが、冬をフィンランドで過ごした後の夏至への思いは、北海道で感じていた時とは異なる思いでした。
旅行者にとってこの季節は、ヘルシンキ市内からフィンランド人が目に見えて少なくなりますので、違和感を覚えると思います。又、ヨーロッパの人々と同じく、長い夏休みも始まりますので、行き交う車の数も減って、観光客とツアーバスが町を占拠した感があります。旅行には、レンタカーを借りますと、なれない道でもスムーズに走れますし、普段苦労する駐車スペースも容易に確保できることと思います。季節は最高なのですが、仕事をするには、打ち合わせ一つ取っても、連絡が大変ですし、折角の夏に、水を差すことになりかねません。ですから、一番良い季節なのですが、訪れることはあまりありません。
フィンランドのベストシーズンを尋ねられたら、迷うことなく私は、6月、7月をお奨めします。北へ行くと沈まない太陽、ヘルシンキでさえ遅くまで太陽は上空にあります。暗くならない大地を普段の二倍は観て歩けるのではないかと思うほどです。日差しは、頭の上から照らされている感じですが、日陰に入ると涼しく、湿度の少ない実にさわやかな空気です。
数えきれない湖沿いを散歩するのも快適です。本当に北欧の最高の季節です。
仕事はまだまだ終わりにすることが出来ないのですが、家族付き合いの友人等みんなが年を重ねてきています。来年こそは、仕事を抜きに古い友人宅を、良い季節に顔を見せるべく、足を伸ばしてみようかとふと思っています。
2016-06 ミュージックセンター
ヘルシンキ中心部の大きな通り、マンネルヘイム通りの国会議事堂と対峙して、全面ガラスと青銅パネルでおおわれたムシーッキタロ(音楽センター)が建っています。中央駅操車場後の再開発で、次々と新しい建物が建築中ですが、1998年の現代美術館キアスマと適度の距離と空間を充分に残して存在感を示しています。さらに距離を置いて、白大理石のフィンランディアタロ(コンサートホール)はTöölö湖沿にレベルを下げて配置されているのに、この建物はより通りに面して建っています。2000年の設計コンペで、フィンランド、トゥルクLPR設計事務所の3名が設計を担当しました。かねてより音響の評判が悪かった既存のコンサートホールの教訓から、音響設計は日本の永田音響設計が担ったそうです。約1700名の大ホールは、ヘルシンキフィルハーモニー、フィンランド放送交響楽団が拠点として2011年から活用しています。
フィンランディアホールは1971年竣工、40年が過ぎています。ヘルシンキ市民が待ちに待ったコンサートホールですから、感慨深いものがあると思います。音響だけを問うなら、時代の流れもあるでしょうが、アールトの独特のオーディートリウムの非対称デザインは、全ての席に良い音を提供するのは所詮無理な話です。私は、決してアールトを信奉していた訳ではありませんが、学生時代は特権で、安い席でよくヘルシンキフィルを聴きました。いろいろな席に座っては、第一ヴァイオリンが聞こえないとか暇でしたから内部を隅々まで見て回ったものです。休憩時間には、ホールで友人と語り合い、エントランスからホールの空間へ大理石の階段で上がるアプローチ、動線の使い方は、さすがとしか言いようがありません。私は、音響を抜きにしてこのコンサートホールはお気に入りでした。 アールバ・アールトこれほどまでにフィンランド国民に愛された建築家を、私は他に知りません。
私が訪れた時、ミュージックセンターの入り口は、サイドには駐輪スペースも設置されていて、けっして重厚なエントランスではありません。中へ入ると、手に手に楽器を持った家族連れ等がいっぱいでした。とてもオープンな雰囲気です。新しい時代のコンサートホールだけではない、音楽センターを感じました。次回は、久しぶりにヘルシンキフィルを新しいコンサートホールで、時代の変化を感じながら聴いてみたいと思います。
2016-05-2 ヘルシンキ ホテル
ヘルシンキを訪れる時は、いつもホテルを利用します。友人は必ずわが家に泊まれと言ってくれます。一人旅がほとんどですから、シングルの部屋は高くてばかばかしいのですが、市の中心部を気楽に動くのにはホテルがやはりベストです。ヘルシンキのホテルも、随分名前も含めて様変わりしました。昔は、インターコンチネンタルホテル(現スカンディックパーク)、ヘスペリアホテル(現クラウンプラザ)は仕事で泊まるには快適なホテルでした。忙しい時には年に10回も、フィンランドへ出張していました。その時ヘルシンキは、インターコンチネンタルホテルを定宿としていました。泊まる度のカードへの記入もサイン一つでOKでしたし、バーの人たちも世間話を交わす顔なじみでした。フィンランド航空のクルーも泊まっていましたので、よく一緒に食事もしていました。もっと以前、ヘルシンキに住んでいた学生時代は、寮生活ですから、ホテルとは無縁でしたが、お世話になった日本人の方々が、それぞれのホテルで仕事をされていました。
時代と共に、合理化なのか不景気なのか、部屋はどんどん質素になり全てが落ち着きに欠ける普通のホテルになってしましました。最近は、全てネット予約ですし、ホテルの数がすごく増えて、決まったホテルには泊まりません。
私のお奨めは、重要な会議の時などは、Kalastajatorppa ホテルを何度か使いました。中心部から5Km程離れているので毎回タクシーを使うなど決して便利な場所とは言えませんが、時間に余裕があって、静かにのんびりとヘルシンキを過ごしたい方へは、とても良いホテルです。別棟のレストランもリゾート地のような円形のおしゃれな建物です。朝、散歩がてらホテル廻りの住宅街の散策、海岸線を歩くのも心地よいと思います。
車の好きな友人が、現在F1で活躍しているロズベルグのお父さん、幻のフィンランドF1チャンピオン、ケケ・ ロズベルグに握手をしてもらって感激をしていたのもこのホテルでした。
ヘルシンキ中央駅付近もホテルが増えましたが、ソコスデパート併設のソコスバークナホテルは健在です。中央駅正面の古めかしい重厚なホテルSEURAHUONEセウラフオネは、設備は一新したみたいですが、レストラン、内部は古めかしいままで、時代に流されない雰囲気を残している数少ないホテルです。基本的に建物を壊さないというフィンランド人の姿勢は、このホテルにも表れているのかも知れません。
2016-05ヘルシンキ、ストックホルム大型フェリー
5月に入るとフィンランドは、日の出も日本より随分早くなり、とてもすがすがしい季節となります。ヘルシンキ南港の朝市も活気をましてきます。この港から、2隻の大型フェリーが毎日ストックホルムへ向けて夕方17〜18時に出港します。夏時間ですと翌朝10時前後にストックホルムの港に着きます。シリアラインとヴァイキングラインです。現在シリアラインは、エストニア、 ヴァイキングラインはフィンランドの船会社が経営しています。昔、 日本、フィンランドでの学生時代は、夏のバイトにストックホルムへ、このフェリーで出かけました。その後、日本へ帰ってからも出張の折り何度か、乗船していますが、1991年からは、シリアラインに58,000トンの当時としては、まだ珍しい、船の真ん中にプロムナードを設ける豪華客船並のフェリーが登場して、わずか一泊ですが、船旅を満喫させてくれました。朝早くデッキへ出ると、朝日に照らされた島々を大型船が、縫うように進むのは、すごい迫力でした。冬の船旅では、港にはった氷を割りながら進む光景もありました。
新造当時から、改修がされてるとはいえ25年も経って現役というのは、時代の流れなのでしょうか。私も、最近は船を使ったことはありませんが、昔でしたら、ヘルシンキ - ストックホルムは人気のコースで 少し古くなると新造船が投入されていました。古くなった船は、地中海の船会社へ転売されたと聞いています。現在は、人気の地中海クルーズは、20万トンクラスの超大型船ですから、時代の移り変わりですね。
ヘルシンキーストックホルムは、わずかな船旅で免税品が買えることでも人気でしたが、EUの免税対象になるように現在は、オーランド諸島のマリエハイム経由でストックホルムへ向かうことで、免税品の購入が出来る船旅は、しっかり継続されているようです。
ヴァイキングラインは、フィンランドの古都トゥルク-ストックホルム航路に2013年から、58, 000トンクラスの新造船が投入されたようです。夏の良い季節に一度乗ってみようかと思います。
2016-04-2サウナ用必需品、木製小物
サウナと言えば、昔から本場はもちろんフィンランドです。当社にとっても会社設立当時から、サウナは大事な仕事です。サウナ本体はもちろん、温度計、砂時計、オケ、スクープ等の備品も重要なアイテムです。長く付合っていましたサウナ用オケ等の製造会社がサウナ部門から撤退しました。ブオカッティVuokattiという町にある工場で、ヘルシンキから北東へ550Km カヤーニ市kayaaniの近くにあります。ブオカッティ町は、ウィンタースポーツで有名で、スキー場、ジャンプ台もあるのですが、ノルディックスキーの良いコースがあることで有名です。日本のノルディックスキーの選手も合宿でしばしば訪れています。
私の個人的好みで、一番のお奨めのノルディックコースは、ロバニエミ市より北へ120KmのルオストLuostoという小さな町にあります。この町にある老舗のホテルはメイン棟、コテージ群は全てシルバーパインのログハウスです。スキー場周辺の個人、会社の別荘もほとんどがシルバーパインのログハウスで、自然と一体となった独特の雰囲気を醸し出しています。ノルディックコースは照明設備も整っていて、暗くなってもコテージからすぐコースへ滑り出す事が出来ます。アップダウンが実に巧みで、日中は5〜10Kmごとに店がオープンしていますので、飲み物を持参しなくても水分の補給、休憩が可能です。私は、友人の別荘へお邪魔すると、いつも10Km位は、いろいろなコースでノルディックスキーを楽しんでいました。特に、滑走後に入るサウナは格別でした。
話が随分それましたが、 サウナ用品の調達は重要事項です。いろいろ調べて、古くに取引をしていた会社へメールを送りましたら、すぐに返事がきて、よく覚えてくれていて、問い合わせを喜んでくれました。私は、自分の目で工場の製作現場を見なければ取引しない主義ですので、これが幸いして記憶に残してくれていました。 サウナ用品の注文をして、以前と同じく取り扱い商品の品々も合わせてコンテナに入れてもらうことにしました。ヘルシンキから西へ110Km、古都トゥルクから東へ50Km、サロSalo 市にあるピネッタトゥオテという会社です。今回取り寄せた品々をみて、何気ない小物にも暖かみのある自然が生きているということを実感しました。
もちろんフィンランドも、ヘルシンキを中心に一極集中の都市化が進んでいます。でも、フィンランドには、都会を一歩抜けると、自然と関われる空間が、充分に存在しています。ベリーを摘みにカゴを持って森を散策できます。北海道も、そんな自然と親しむ生活を味わえる時間は、まだ充分あると思います。
2016-04 marimekko
フィンランドの出張の帰りには、私は、いつもヘルシンキのmarimekko マリメッコへ 寄って、妻に服を買います。長年やっているので、年配の店員さんとはすっかり顔なじみです。私の顔を見つけると必ず、XSありますよと声をかけてきます。妻は、小柄なのでフィンランド人のSでもおおきすぎるからです。そんなマリメッコも長年のエスプラナーディ通りからミコン通り、アレキサンテリン通りへと店を移しています。ストックマンデパートの隣の前面一部平屋の店は、1960年代からNISSENという店で、五木寛之の初期の作品『青年は荒野を目指す』という小説の中にも、登場していました。どこか昔を懐かしめる建物でしたが、いつの間にかマリメッコに変わっていました。又一つ、古い店がヘルシンキから消えてしまいました。今、若い人ならみんな知っている、日本でも20店舗以上あるマリメッコですが、フィンランド語では、第一音節の母音にアクセントが来ますから、余計なことですが、正しい発音は、マリメッコです。
わが家の愛犬は、バンダナをしています。子犬の時は首輪ですが成犬になってからは、いつもバンダナです。先代の犬から続いています。色違いのマリメッコのバンダナを使っているのですが、結構ぼろぼろになります。買い物ついでに、新しいバンダナを買おうと思ったのですが、しばらく来ていないせいか、見当たりません。週末、暇でしたので、ヘルシンキ中心部のマリメッコのショップをいくつか見て回りましたが、見つかりません。仕方なく店の人に尋ねると、そのバンダナはもうありませんとの、そっけない返答。言葉に困っていると思ってくれたのか、シルクのバンダナはいかがですか、とイントネーションに違和感のある日本語で別の店員に奨められましたが、野原を駆け巡る犬にシルクはないでしょう。埒が明かないので、中心部を少し離れたItäkeskusを思い出し、地下鉄で8駅目まで足を伸ばしてみました。ショッピングモールは、にぎわっていましたが、目指すバンダナは、ここのマリメッコにもありませんでした。仕方なくキーボードをたたいて調べてもらうと、アウトレットに黒だけは在庫があると教えてくれました。又、地下鉄に乗って今度は、Herttoniemiまで逆戻りです。駅から徒歩で5分ほど、ようやくUnikko柄の黒のバンダナを手に入れることが出来ました。無くなってしまっては又、大変と3枚買いましたが、本当は赤か緑が希望でした。犬のためにこんなに時間を使うのはおかしな話ですが、普段歩かない、いろいろな地区の町並みを眺めたり、郊外は地上を走っている地下鉄の車窓からの景色も、新鮮で結構楽しい時間を過ごしました。
2016-03-2 トラム沿線2
ヘルシンキ駅より地下鉄に乗って、北方向へ移動しました。最初の駅がまずKaisaniemi から、ヘルシンキ大学に駅名が変更されていたのに少し驚きました。次の駅hakaniemiで地下鉄を降り、地上に出てトラムのライン9に乗換えて、イタパシラ(東パシラ地区)へと向かいました。数年前、このトラムに乗った時は、どんよりした天候で寒さも加わって、少し昔を思い出して感慨にふけった景色でしたが、40年前の最先端地域が、どのように変わっているのかを、じっくりと冷静に見てみようと思いました。
建物群全体は、さほど古びることなく、かといって華々しく発展している風もなく、いかにもフィンランドらしい、静かに時が経過している姿でした。
パシラ駅から西側を望むと、昔の記憶にはなかった住宅、オフィスビル郡が、東と同じく西パシラも同様の風景となっていました。ちょうど7番のトラムが来たので、西パシラも少しく車窓からの景色を楽しんでみました。建物沿いの道を縫うように走るトラムの線路のきめ細やかな敷設には感心させられます。 トラムで又、ヘルシンキ駅まで戻るのは単調なのと、時間がかかるのでパシラ駅から一駅ですが、鉄道に乗ることにしました。駅の西側、随分大規模な工事が進行中です。
調べた訳ではありませんので、解りませんが再開発であることには間違いありません。乗るともなくホームを眺めていましたら新しい近郊型電車が到着しました。行き先の表示を見てMYYRMÄKI の先に飛行機のマークがありました。何も考えずに、空港に到着すると私は、いつもFinnairのバスでヘルシンキ市内へ向かっていました。鉄道好きの私としては、少々迂闊でした。現在、MYYRMÄKIから路線はさらに伸びてヘルシンキバンター国際空港を経由して、ヘルシンキ中央駅へと続いています。ヘルシンキ駅は終着駅スタイルですから、山手線とは異なりますが、内回り、外回りでヘルシンキ郊外を結んでいます。
フィンランドに長く住む友人が、西隣のエスポー市へもさかんに地下鉄の工事が進められていて、道路は工事、工事で運転しづらいと嘆いていましたが、地下鉄は、将来的に空港までも伸びそうです。どうもパシラの再開発は、鉄道の増設も含めて、その一環のようです。全ての面で、古き良きフィンランドは、ヘルシンキからは消えて行きそうですが、一極集中と地方都市の変貌を、私の目でしっかりと見続けたいと思います。
2016-03 トラム沿線
週末、ヘルシンキでぶらりとトラムに乗りました。2日券(12€)を買っていたので、市内の市電、バス、地下鉄、鉄道は乗り放題です。乗り間違えたら、降りればよいだけですが、結構路線は複雑です。昔は、ライン3のみがTとBで市内を内回り外回りの感じでしたが、現在は、2と3が引き継ぎ、鉄道の次の駅Pasilaパシラ付近で7がABで巡回するなど乗り慣れていないとけっこう難しい。系統は、1,2,3,4,6,7,8,9,10の9路線です。町の中心部でも、何年かすると平然と線路が変わるので、これには驚きです。ただ実にきめ細やかに走っているのには感心させられます。町並みにトラムは似合います。特に古い建物が背景ですと絵になります。ヨーロッパの多くの都市がそうですが、鉄道駅を降りると駅前にはトラムが走っています。旅をしていることが実感できる風景です。同じ鉄路のつながりを感じるからでしょうか。
数年前、トラム(raitiovaunu)No 8でアラビアのショップを訪れた時は工事中でアウトレットの入り口が複雑でしたが、現在は、昔のアラビアの工場の煙突の建物の横が、ガラス張りのエントランスとなっていて煙突さえ見つければすんなり入場できます。建物にしるされたARABIAの文字と煙突を見るだけでとても懐かしさを覚えます。
現在は、イーッタラ傘下ですのでアラビアでも何でも買えますが、昔、アラビアの工場の時は、アラビアの食器がメインでしたから、知人の紹介で、内部の窯、絵付け製作現場等々を隅々まで説明してもらい、とても楽しく見て廻る事が出来たことを覚えています。帰りがけに正規の食器は当時、高くて買えないので、セカンドメイドを思い切って買いました。大学の学生寮での生活で、アラビアの食器で食事をしていると、フィンランドへ来ているという実感がわいてきたものです。その食器類は今でも健在で、新しい食器と混在で使っています。パラダイス絵柄のマグカップは、一度柄が取れて自分で修理したので使えますが、棚に飾ってあります。40年以上前のものですが、現在でもパラダイスのシリーズは、人気があって製作が続いています。時を超えて共有できる器は素敵ですね。
今回は、特に食器を買う予定もないので、またトラムに乗って、景色を楽しみながら中央駅方面へ向かいました。
2016-02-2 久々のフィンランド 3
いつもは忙しく動き回るフィンランドですが、用件が全部片づいたので週末は、ヘルシンキで過ごすことができました。ゆっくりと市内を散策するため、ホテル正面からtöölönlahtiトゥーロ入江沿いを一廻り、オペラハウスもゆっくりと見て歩き、対岸の木造3階建ての石造建築財団の横を通って、ヘルシンキ中央駅へと歩きました。駅のエリアは大幅に変化が見られます。
私は、ヘルシンキという町は、何十年ぶりに訪れても、古い建物はしっかりと残っていて、昔の旅情を思い出させてくれるとても良い町と、いつも言っていました。駅舎から正面の扉を出ると、確かにビルは昔のままに存在しています。レヴェルのフィンランドでは珍しいコルビジェの影響を受けたセンタービル、石造りのセウラフオネホテル確かにそのままです。駅舎のホームにガラスの屋根がかかっても特に違和感はありません。中央郵便局が建物だけになり、マンネルヘイム将軍像の横に現代美術館、新聞社のガラス張りビルまでは、都市の活性化のためには、仕方のないことと思っていました。でも、貨車の操車場が消え、その跡地に次々とビル群が立っています。音楽堂が完成し、次は中央図書館、事務所ビル群と駅の西側だけを見たら、昔ののどかなイメージは全くありません。東京から比べたら人口5,60万の都市の変化など微々たるものかも知れません。でも、ヘルシンキ中央駅を出発しての車窓の景色は、のどかな出発風景から、ほんのわずかですが、ビル郡を抜ける中部ヨーロッパの都市と変わらないものとなってしまいました。
今を生きる人々の生活が優先で、一時の旅情などに口を挿む資格はないのかも知れません。昔、アールトが提示したヘルシンキ中央駅一体の都市計画が、奇抜でヘルシンキ市民に賛同を得られなかった事が、思い出されます。どちらが良いというのではなく、人工的ではない空間が、より多く存在していたのは、歴史の皮肉なのでしょうか。
少しがっかりしながら、街を港に向かって歩くと、依然町並みは、古い建物をしっかりと残し存在していて、私の気持ちをまた、なごませてくれました。
2016-02 久々のフィンランド 2
プダスヤルビ町を出発して、主要道78号線を北へ70Km、雪はしんしんと降り続いています。ラヌアで休憩、この町には少しユニークな自然動物園があります。動物の生活圏を守るため、熊には熊のストレスを感じないスペース、トナカイにもトナカイに合った敷地が与えられています。見学者の立場ではなく、動物のたちの生き方を見させてもらう感じです。ですから、動物園なのにお目当ての動物が見れないこともしばしばです。 さすがに、冬は閑散なのでしょうね。スノーモービルサファリの施設が加わって衣替えしていました。
休憩をとってさらに北へ80Km有名なサンタクロース村のあるロバニエミ市へ到着です。昨年はサンタクロース村倒産かと紙面をにぎわせました。ロシアの景気の落ち込みでロシア観光客が激減したからです。幸い新しいスポンサーが表れて一難は去ったようです。これからこの町は、多くの観光客でにぎわいます。もちろんオーロラを見るためのツアー客です。特に、日本の方は本当にオーロラが好きですね。
私はいつも、この町ではホテルを取らずに、友人宅へ泊まります。町には大きな川が2つ流れていますが、さらに北極圏寄りにNorvajärviという湖があります。車で20分程の湖沿いに、彼の大きなログハウスの自宅があります。1人の時は、いつもわが家に泊まれと言ってくれる古くからの仕事付き合いも長かった友です。今は、自分の会社を弟に譲って、夏場は300Kmも北のコテージで御夫婦で生活しています。昨年は川で、合計230Kgほど鮭を釣ったそうです。フィンランド人は、釣三昧、狩三昧と大きな会社を経営していても定年となると、いとも簡単に会社を辞めて趣味の世界へ入っていきます。家族に粗大ごみ扱いされることなく、趣味の時間が、生活そのものになって生きていく余裕でしょうか。自然との関わりを大切にしてきた国民性なのでしょうか。自然に恵まれていることは確かですが、生き方は、幼い頃から培われてきたモノなのでしょうか。日本では田舎暮らしが、最近さかんに言われていますが、あえて挑戦者たる覚悟を必要としない生き方も、フィンランド人の友人を見ていると一朝一夕で出来るものではないのでしょうね。