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2012年5月11日 金曜日 ヘルシンキの市場
ヘルシンキ南港近くのこの地区は、KAARTIN KAUPUNKIとよばれていた、18世紀中ごろから19世紀終わりにかけての建物が多く残る所です。 多くの観光客が訪れる、エスペラナーディー公園から朝市、オープンマーケット(toriトリ)が開かれる港沿いに、ひときわ変わった異彩を放つ建物が有ります。まるでイスラム建築の様な配色のレンガ造りの建物は、Theodor Höijerによって設計され、1904-1906年に建てられた市場です。今の季節ですと、迷わず朝市の方へ出かけると思いますが、冬から春先は、外気温も低く、外を散策するのがつらい時です。一歩市場へ足を踏み入れると、そこは暖かく、楽しい空間です。肉、魚、野菜はもちろん酒類、お菓子、日用品等がそろっています。今は、お寿司をカウンターで食べることも出来ます。買い物をしなくとも充分楽しめますので、ぜひ足を伸ばしてみてください。 ヘルシンキには、いくつかの市場があります。映画「かもめ食堂」に出てきた、市場はハカニエミhakanieniです。赤レンガ造りの2階建ての建物で、1912-1914に建てられました。SegerstadとFlanckenbergによる共同設計です。外の広場ハカニエメントリでは、もちろん朝市が開かれます。ここを訪れるには、ヘルシンキ中央駅から地下鉄でも、市電も複数が乗り入れています。この広場は、地下鉄、市電、市バスのサブターミナルにもなっています。 ヘルシンキ中心部の西側にも市場が有ります。ここは、ヒエタラハティHietakahtiと呼ばれオープンマーケット(toriトリ)と市場が有ります。赤レンガ造りですが、窓廻りが漆喰のツートンカラーの建物です。南港の市場と同時期で、1903-1904年に、A.Lindqvistの設計によって建てられました。ここへは、市電の6番で行けます。終点です。6番の反対側の終点は、皆様ごぞんじの陶器のアラビアの工場です。 同じ時代の日本と比較しますと、木造の文化との違いは有るとしても、(フィンランドはかなり日本に近い木造文化圏です。)西洋文化を取り入れた建築物は、官公庁、財閥の建物で、庶民の為の公共建築の発想は、無かったのではないでしょうか。明治時代は、富国強兵で国は、まだ貧乏でそこまで、考えれなかったのでしょうか。フィンランドのロシアからの独立は、1917年ですから、独立さえしていなかった時代の建物です。
2012年3月19日 月曜日 オーロラの町
遅くなってしまいましたが、1月にフィンランドへ行っていました。友人のオーロラを見たいという切なる願いをかなえるべく、ヘルシンキより北へ1125Kmのイバロ空港へ降り立ちました。極寒の地のイメージですが、寒波も来ていませんでしたので、身構えるほどの寒さではありません。空港連絡バスに乗り23Km南へ移動、宿泊地サーリセルカへ。 昔は、夏に訪れる人はいても、冬は閑散としていました。ホテルも数軒他は、個人、会社の保養施設が点在している程度でした。私も20年近く前に夏に家族で、知人の別荘を4、5日借りて、ここを基盤として、ラップランドをまわり、国境沿いにノルウェーヘ足を伸ばしたりした旅をしたことがあります。 今回は、4日を費やし、オーロラを何とか友人に見てもらおうとスケジュールを組んだのですが、残念ながらオーロラはあらわれてくれませんでした。宿白したホテルは、スパ付きのリゾートタイプホテルです。夏の白夜の季節とは、正反対の夜ばかりの季節ですから、何もない地で、退屈しないように考えたのですが、大型ホテルが、数件立っていて、ショッピングセンターもあって、そこそこの町になっていました。お土産店のオーナーと話していて、日本人が年間2万人を超えているという話には、驚かされました。そのせいなのでしょうか。地方都市並に、サーリセルカにも5階建ての住宅が、建設中でした。 1月も中旬でしたので、少しづつ日もさし始め、雪明かりのせいもあってカーモス(極夜)の真っ暗なイメージではありません。日中時間を持て余しぎみですので、皆さんにノルディックスキーを楽しんでいただきました。安いレンタルスキーを借りて、近くの丘の頂上まで、ほんの2—3Kmの予定が、標識通りに動いたのに結果、往復10Kmもコースを滑ることになってしまいました。コースは、よく整備されていて、もちろんアップダウンがあって、自然の中で景色を満喫できる作りになっています。トナカイにも遭遇しました。 サーリセルカも良いコースですが、フィランドには、ルオスト、ブオカッティと、ノルディックスキーの素晴らしいコースを持ったリゾート地が有ります。ナイター照明も完備していて、自分の好きな時間に滑ることが可能です。日本では、歩くスキーというと、何か公園ををぐるぐる一周するイメージと、必死になって競争する大会のイメージが強いですが、家族で自然と親しむ北国ならではの冬のスポーツです。 ルオスト、ブオカッティのような素晴らしい施設が、日本の北国にも生まれることを切に望みます。
2011年12月6日 火曜日 白樺
フィンランドの森林のお話を、先月しましたが、白樺につてもう少し続けてみたいと思います。私の好きな映画、パステルナークのノーベル文学賞受賞作「ドクトル・ジバゴ」が、1966年日本で映画が公開されました。私が最初に見たのは、高校生の時です。幕が開くとテーマ曲が流れ、スクリーン全面に、秋の白樺林が延々と写しだされていました。私はこの白樺林が強く脳裏に残っていました。 時を経て、大学留学時代にヘルシンキで再び、この映画を見ました。当時ヘルシンキでは、映画館は、平日は、夜1回のみの上映です。大学の授業を終えて軽い食事をとってからでも間に合います。太陽がわずかしか昇らない12月ですから、夕方にはもう暗くなっています。映画が終わる時間には、もう真夜中のようです。冬のヘルシンキでも充分寒いのですが、スクリーンの残像として、寒々としたロシアのイメージが、増したのを覚えています。けれど高校生の時に感じた、白樺の印象は、住んでいたフィンランドの景色が加わって一層印象深いものとなりました。 もちろん5月の白樺の若葉の輝きも素晴らしいと思います。まして、厳しい冬を終えて太陽がさんさんと輝き始める、夏に向けての北欧の景色はため息の連続です。北海道も同じような、かなり北欧に近い風景と言えるのですが、太陽の角度なのでしょうか。空気が異なるせいなのでしょうか。光に違いを感じます。 秋のつるべ落としより早く沈む北欧の太陽、黄色くなった白樺の葉に、暖かさとは無縁の光を投げ掛け、寂しげに照らしています。風に舞う白樺の葉は、日に日に枝から数を減らしていきます。北欧の最も物悲しい季節かもしれません。 ニセコのコテージには、フィンランドから来た白樺が2本植えてあります。北海道の白樺が、全て葉を落としてもフィンランドの白樺は、まだ余裕を持って葉を残しています。まるで、「このくらいの寒さはまだまだ、冬に近づいていないよ。」とでも言っているようです。でも12月はいると、さすがのフィンランドの白樺も、北海道産と同じ姿になります。冬を迎え フィンランドでもより気候の厳しい北極圏では、白樺もしばしば上に伸びきれず、風などの影響でこぶが出来ます。この白樺のこぶから、サーメの人々はカップを作ります。文様がとてもきれいです。空港などでお土産用に売っているものは、白樺のものではありません。取っ手のところをトナカイの角で彫刻を施した高級なものも有ります。自然との関わりを大切にしていた彼らの生活がよくわかります。そろそろ、トナカイをひくサンタの季節です。
2011年11月1日 火曜日 フィンランドの森林
森と湖の国といわれるフィンランドは、33万平方キロメートルの国土の約7割を森林が占めます。湖は、淡水湖だけでも国土の1割に近い湖が点在しています。人口わずか530万のこの国ですが、都市に人口が集中する都市化が急激に進んで、多々の問題を生じています。でも、北欧の国々はまだ充分な、自然を享受できる面積の環境が残っています。 今回は、森林を少しく取り上げてみたいと思います。大きくわけて森林の樹種は、3種類です。パインで総称される欧州赤松が圧倒的に多いと思います。次に白樺、トウヒ(唐檜)です。もちろん落葉松、広葉樹もありますが、森林全体から見るとわずかです。 欧州赤松といわれますが、一般的にドイツの黒い森で生い茂る赤松とは自然環境が、かなり異なりますので、我々は、北欧パインと呼びます。さらに北極圏で成長するものは、ポーラパインと分けて呼んでいます。極寒の地で育つ松は、年間生長率1、2ミリと製材、もしくは、ログハウスの材料として使えるのに、100年以上かかります。植林した木々を自分の代で使うことは出来ません。ですから、徹底した植林、計画伐採が全土で行われています。寒い地で育つパインは、樹脂分が強いのですが、常温でヤニは出ません。密度も高く、見た目より固いのですが、加工しやすく、節でも刃を痛めずらく、木肌に艶があり、世界一級のパイン材です。 北欧の白木の家具は、白樺から作られます。白樺というと、北海道の白樺を皆さんは、思い浮かべると思います。割りばし位にしか使えない柔らかい木と。フィンランド語でKOIVU(コイブ)といいます。高級材ですが、フローリングにも使うとても堅い木です。日本の白樺ではなく樺に近い性質です サウナに入って体をたたく枝は(ヴィヒタ)、もちろん白樺の若枝です。日本の白樺の枝と異なって弾力があります。香りも数段強いと思います。 トウヒ(唐檜)と、訳されている、フィンランド語ではKUUSI(クーシ)は、建築材に多く使われます。屋根などに使う、トラス等構造材は、クーシです。肌の白い木です。パインと比べると樹脂分が少なく、ぱさぱさした感じです。見た目は、北海道のエゾ松に似ています。私はより樅に近いと思っています。クリスマスが近づいて、家庭に飾られる木は、このクーシです。都会では、12月に入ると朝市などで、クーシの小木が売られています。屋根にクーシを乗せた車を見かける季節です。 現在、作られていませんが、イイッタラにクーシというシリーズがありました。グラスは12角形で、角から面にかけて6本のクーシの木が描かれています。すっきりしたデザインなのですが、角からひびが入りやすく、わが家のグラスも残り少なくなりました。キャンドルスタンドは、ガラスが厚くて大丈夫です。キャンドルに火を灯すとまさにクリスマスツリーです。 他には、フィンランドの人が好むKATAJAカタヤは、小木ですが、香りがよく、バターナイフなどに加工されて使われます。香りが檜によく似ています。日本語では、多分ビャクシンです。何か、フィンランド人も木の文化の人々と思うとより、近親感が湧いてきます。
2011年10月1日 土曜日 ロウソクの文化
北欧で生活すると、きっと皆さんロウソク好きになると思います。特にこれからの季節、現在は北海道とさほど変わりませんが、10月からどんどん日没が早くなります。秋のつるべ落としの表現をしのぐ早さです。ですから、ロウソクも似合う季節の到来です。でも、北欧の人は夏でも明るい白夜の季節にも、夜はキャンドルを灯します。つまり四季を通して、キャンドルの炎は揺らいでいます。家庭はもちろん、レストランでテーブルにキャンドルスタンドの無い店は見たことがありません。キャンドルの炎は、暖炉の薪の炎と同じくらい心をなごませてくれます。 昔、ヘルシンキ大学へ留学するとき、私は、「ロウソクの科学」岩波文庫を、持参しました。フィンランドは、コーヒー、ロウソクの個人消費量が世界で1、2の国です。日本では、当時せいぜい、仏壇以外では、結婚式のキャンドルサービスが、ポピュラーになってきた程度でした。ですから、ロウソクなるものと付き合ってみようと思いました。 キャンドルも色鮮やかで豊富ですが、キャンドルスタンドも素晴らしいデザインの物が多々あります。イイッタラのティモ・サルパネバのFestivoは、球形のキャンドルのために造られたようなフィット感です。姪が小さかった頃、このいろんな色の丸いキャンドルをお土産にたくさん買ったものでした。 キャンドルスタンドを使わなくても、お皿の上にさり気なくおいたり、大きなプレートの上に、複数のキャンドルを配置して火をつけます。炎の揺らぎ方が異なって異色の空間を作り出します。本当に北欧の人々は、室内のインテリアのセンスもすばらしいですが、キャンドルの演出が上手だと思います。12月の独立記念日は、家庭では、フィンランド国旗をイメージした、下半分が青、上が白いシンプルなロウソクを灯します。官庁、事務所等の施設では、防火の為、窓辺にロウソクを模った電気のキャンドルスタンドを並べます。この日の町並みの夜景はとてもきれいです。 ヘルシンキの学生寮に住んでいたとき、町のキャンドル専門店で材料を買って、クルミを半分に割って、芯をつけて、ロウを流し込み、グラスに水を入れて、浮かべて火をつけるという、キャンドルをよく作っていました。 今、フィンランド出張の折り、お土産によく買うのは、フローティングキャンドルです。一つの長い芯のヒモに6コのキャンドルが連なっています。7〜8色あって、そのまま天井からつり下げておいても、とてもかわいらしい感じです。使うときは、下から芯を一つ一つ切って水に浮かべます。昔の、手作りのクルミのキャンドルがよみがえったような、懐かしさを感じながら時々、フローティングキャンドルの揺らぎを、ワインを注いだグラス越しに、ワインの色をプラスしてながめています。
2011年9月1日 木曜日 住宅街の電柱
北欧の町の住宅地を歩いていて、いつも思うことは、自然の風景と住宅に違和感がないこと、つまり景色に住宅そのものが、溶け込んでいることです。 北海道も風景だけを見ると、北欧と変わりません。特に道東へ行きますと北欧の景色そのものです。これに建物が加わると色彩というか、センスというべきか、いかにも北海道らしくなってしまいます。 もう一つ決定的に景色を悪くしている物といえば、電柱です。見苦しいコンクリートの柱が、我が物顔で道路脇を占拠して、時代遅れの文明を誇示しているようです。なんの美的センスもなく電線が張り巡らされ、さらに住宅への引き込み線となると、目を覆いたくなる醜さです。 最近、幹線道路はようやく、無電柱化が進んできました。これは美的センスより災害時等に電柱の倒壊で、救助活動や物資の輸送に支障をきたさないための措置のようです。その結果、住宅街の電線がますます醜くなっていることを、みなさんはご存知でしょうか。私は、朝の犬の散歩がてら、この光景を見ています。幹線道路から引き込んでいた電線は地中を潜って住宅街の電柱の根元へ。雨後の筍のように黒いパイプが束になって電柱を取り囲んでいます。結果、住宅街はますます醜い電線を増やしています。 写真は、フィンランド小さな町の住宅街です。ごくごく普通の景色なのですが、街路灯だけで道路脇に電柱は存在しません。住宅が極度に少ない相当田舎に行かないと電柱は見当たりません。住宅街のブロックごとに電線を引き込むボックスが設置されています。ですから、住宅を建てるときは、このボックスから電源が供給されるのです。 ヘルシンキのような都市部においては、ヨーロッパ全体もそうですが、道路の両サイドのビルの外壁からワイヤーで、街路灯を支えています。市電の集電線も同様に壁で支えています。ですから、電柱のみならず、街路灯のポールさえ少ないので、すっきりした町並みになっています。
2011年7月1日 金曜日 白夜祭(夏至祭)
久々にニセコで白夜祭(日本は、白夜にならないので正確には夏至祭でしょうか)を、行いましたのでその様子をお伝えしようと思います。昔、日本へ帰ってきてまもない頃は、自宅でベランダに白樺の枝を飾り友人を集めて、夏の夜長を楽しんだものです。でも、お互い家族が出来て、日常の生活に追われるようになり、そのような行事が、長らく途絶えていましたが、今年は、あまり明るい話題がありませんでしたし、ニセコのコテージ竣工20周年ということもありまして旧友に声をかけました。 夏至の週末、6月25日にニセコのコテージ集まってもらい、フィンランドと同じく、入り口の門近くに大きなフィンランド国旗を掲げ、ベランダには、白樺の枝を飾り、屋外のサウナ小屋には、夏至のサウナを楽しめるように火を入れて皆の到着を待ちました。バーベキュー小屋に炭をセットして、スモーク小屋へは、肉の塊、魚を入れて、焚き口から薪をくべてスモークのスタートです。焚き口のストーブの上は、数時間火を絶やさないので、かなり高温なります。そこで今回は、耐火レンガを水平に敷いて熱が逃げないように、スチールでカバーを作って、簡易ピザ釜も用意しました。 続々と懐かしい友人が集まってきました。ひとしきり昔話に花が咲いていたのだと思います。私は、夜のメインイヴェントのユハンヌスコッコの準備です。フィンランドでは、各都市でこの行事が行われます。ヘルシンキでは、セウラサーリという屋外博物館のある島で、毎年行われます。ユハンヌスコッコ(白夜の篝火)は、そもそもは、古い船を数隻立てて燃やしていたそうです。セウラサーリでは、大きく積み上げられた木々に、沖からボートで新婚カップルが来て、点火といった演出がされたりします。 ニセコでは、裏の畑にセットしました。中央に1本白樺の木を倒れないように埋め込み廻りに3本白樺の乾燥した木を縄で縛りつけ芯を作りました。暖炉に使う薪を三方に井形に組んで1メートルより高く積み上げました。隙間には笹の枯れ葉を詰めて燃えやすくして準備万端です。 バーベキュー、ピザ、皆様が持ち寄ってくれた豊富な飲み物で、食も充分満たされた夜8時、いよいよユハンヌスコッコへの点火です。裏へ移動した音響装置からフィンランド国歌MAAMMEの演奏終了と同時に着火です。三方から静かに炎が上がり、やがて一体となって見事に炎が天に向かうように大きくなっていきました。フィンランディア、カレリア組曲とシベリウスの音楽は裏山の森へと響き渡ります。約1時間全員が炎を見つめていました。篝火が小さくなって、暗さをました天空では、見事な天の川が夜空をうめていました。
2011年6月1日 水曜日 ユハンヌス(夏至)のサウナ
今年の夏至は、6月22日ですから、フィンランドは、週末の25日が祝日です。この頃になると、夏休みをとり始める会社も多いので、ヘルシンキ市内は、閑散とします。日本のお盆を思い浮かべていただくと理解しやすいかもしれません。6月24日の金曜日から、一斉にみんな故郷を目指します。普段あまりおきない国道の渋滞が始まります。特にこの季節、太陽の位置が高いので、直射日光ををまともに浴びて、車内の温度はどんどん上昇します。でも、果てしなく続く森林の緑と、左右に絶え間なく現れる光り輝く湖面を眺めていると、いらいらは募りません。一年で一番いい季節の到来です。故郷へ帰って過ごす夜は、やはり夏至のサウナです。 今回は、サウナを少し詳しく紹介します。フィンランドでも今は、電気ストーブのサウナが一般的です。シーズヒーターが充分に高温になって覆うサウナ用の石(香花石)が熱くなったら、桶に入った水をスクープで石に2、3杯かけます。瞬く間に蒸気となってサウナ室を熱気が走ります。この熱さで体を暖めるのが、本当のサウナの入り方です。日本の町場のサウナのように、室内を100度にも上げて入る方法は、決して体に良いとは言えません。せいぜい、室温が70度まで上がったら充分サウナを楽しめます。水を何度かかけて、体がほてってきたら、白樺の小枝を束ねたビヒタで全身をたたきます。体に程よい刺激と、白樺の香りがサウナ室に充満します。これがサウナの醍醐味です。 今でも、フィランドの田舎へ行くと薪焚きのサウナストーブを使用している家庭が多くあります。薪ストーブの体感温度は、電気に比べて柔らかく、サウナ嫌いという日本人でも、多くの人がサウナ好きに変わります。薪焚きのサウナストーブは、取り扱いがいたって簡単で、暖炉用の薪でなくても、建築端材でも充分燃やせます。夏場ですと、30分位でサウナに入れる温度になります。薪のサウナのもう一つ良いところは、電気設備の容量アップとか心配がいりません。ですから、土地の広い北海道、特に農家の方などへ、離れのサウナ小屋の新設をお勧めします。風景では、北海道とフィンランド、とても似ています。これに、サウナライフが加わると豊かな北欧の人々の生活に、北海道も一歩近づくのではないでしょうか。
2011年4月1日 金曜日 古くて趣のある建築散歩6
大雪、寒波と厳しい冬だったフィンランドもようやく春の兆しが見え始めているようです。4月に入って、最高気温が10度を越す日も出てきました。 今回は、何十年も昔、私がヘルシンキ大学の学生時代から気になっていた建物を紹介します。市電トラムの市内を8の字で回っている3Tあるいは、3Bに乗って南港近くのLaivurinkatu(ライブリン通り)とTehtaankatu(テヘターン通り)が交差して、市電が大きくカーブするところ、停留所名はeiran sairaala で降車します。角に赤茶けた瓦の屋根と黄土色の厚い壁の建物が見えます。建物の名前はエイラホスピタルです。1904年から1905年にラルス・スンクの設計によって建てられた病院です。敷地に高低差があるので、建物は大きなL字型のプランで両面道路にそって建てられていて、基礎部分が石積みで半地下構造の3階建て、その上は屋根裏部屋になっています。庭に面する側は1階の壁半分が石積み上部がレンガ、しっくいの4階建ての構成になっています。庭側L型の廊下中央に大きなき階段、同じく庭側のつき出した尖塔は、らせん階段になっています。 このエイラホスピタルは、コラム51、56で紹介した建物と同じ建築家です。作曲家シベリウスの、ヘルシンキから北へ30Km Järvenpääヤルベンパーの山荘アイノラも、シベリウスの友人である彼の設計です。 交通手段があまり発達していなかったこの時期に、まして、建築現場も、現在では想像もつかないほど、非機械化の人力による建設が行われていたとおもいます。時間を要したその時代に、ヘルシンキ市内のみならず近郊へ出かけて次々と大きな仕事をこなしているのですから驚く限りです。 電話局の建物が1903-05年、アイノラが1903-04年、同時期の仕事です。これらの建物に共通して言えることは、この時代の主流である、ナショナルロマンティシズムを端的に表現している建物だということです。尖塔、石積みのアーチ玄関、バルコニー、ガーデンウォール、建物を見ているだけで古き良き時代へ入っていけそうです。
2011年3月1日 火曜日 ジョギング、自転車道
今年のフィンランドは、大雪だけでなく、2月にはかなり厳しい寒さも続いていたみたいで、オウル近く北緯65度の取引先からのメールでは、連日マイナス30度を下回る日が続いていた様です。でも3月に入りますと日の出が目に見えて早くなってきます。朝、普通に起きて真っ暗な空が、日本と変わらなくなってきます。春とまではいかなくても、朝の散歩も日差しを感じることができます。フィンランドは実に良く、歩道、自転車道が、整備されています。日本のように歩道を自転車が歩行者を無視して走るような危険なことはありません。完全な自転車専用道路は、まだまだ少ないのですが、幅の広い併設の歩道、自転車道は、ヘルシンキだけを例にとってみましても、現時点で1200kmもあります。サイクリング、ジョギングコースとして、中心部はルートが限られていますが、郊外では普通に幹線道路と交差するところは、基本的にアンダーパス等で、立体になるようにコース作りがされています。これは、冬においても除雪が完璧になされています。さすがに12月大雪の時は、追いついていませんでしたが。 ヘルシンキ近郊のサイクリング、ジョギングコース等を示したアウトドア専用地図も、ヘルシンキ市旅行案内所でもらえます。地図を広げて驚くのはコースが全市にきめ細やかに整備されていることです。この地図には、もちろん冬のノルディックスキーのコースも記されています。今日本でも少しずつ浸透してきた、ノルディックウォークにも最適です。今月は、少し寒い風を感じても、4月からは、本格的なアウトドアシーズンです。もし春からフィンランドを訪れる予定のある方は、ジョギング、あるいは、自転車を借りてのサイクリングをお勧めします。観光バスからの視点とは異なるフィンランドの姿が見えてくると思います。フィンランドの教育レベルが、世界でトップだとよく取り上げられますが、これは、ぶれずに長いスパンで、教育を考えた成果だと思います。フィンランド人は、そもそも運動好きですが、ジョギング、サイクリングロードも、行政の仕事という押し付けではなく、使う人の立場にたって造られてきたから、結果としてこれだけ整備されたのだと思います。