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2003年4月4日 金曜日 ヘルシンキ中央駅
1970年代始め、若者はこぞってあこがれのヨーロッパを目指した。格安の航空券もない時代、横浜港を出港、ナホトカからシベリア鉄道に乗りモスクワ経由でヨーロッパの各都市へ向かった。ソ連、フィンランドの国境駅バイニッカラで長い共産圏出国手続きを終えると、空までもが明るく感じられた。最初の自由主義国のヨーロッパ、フィンランド。ソ連製の緑色のいかつい客車が国境駅よりフィンランドの機関車に引かれて、広広軌という新幹線よりもさらに広い線路幅を持つ軌道をひた走り終着ヘルシンキ駅へたどり着いた。この鉄路が延々とシベリアからつながってきたのだと思うと感慨深いものがある。野ざらしのホームの4月の風はまだ肌を刺す。ホームを取り囲むように駅舎が立っている。フィンランドの著名な建築家エリエル、サーリネンの設計による1914年完成の重厚な赤御影石の建物。 フィンランドと係わって30年、今も年3,4回仕事で訪れているが、めったに鉄道には乗らない。でも空港からヘルシンキ市内行きの連絡バスはシティーターミナル行、ヘルシンキ中央駅のすぐそばである。私は時折、ホームへ足を伸ばす。ヘルシンキとフィンランドの古都トゥルクを時速210Kmで走る特急が登場したり、学生寮からヘルシンキ大学へ毎日通った近郊電車が新型車両になったり、ホームにもつい最近、鉄とガラスの屋根がついた。でも、全体の雰囲気は昔のままだ。大きな木製の扉も健在だ。ロシアからの列車も到着する。 ヘルシンキ中央駅は20世紀の始めから、ほとんど変わらない姿で、ヘルシンキを見続けている。何事もなかったかのように。そして、そこに立っている私の青春時代をも包み込むように。
2003年2月15日 土曜日 ヒーヒト・ロマ(スキー休暇)
フィンランドでは、2月下旬から3月にかけて全国を南から北へ三地域に分けて順次、スキー休暇に入ります。南のヘルシンキ地域から始まって、最後はロバニエミを中心とするラップランド地域は3月9日から14日まで。小学校から高校まで休みになるのですが、親達も年平均45日の有給休暇の一部をこのヒーヒト・ロマに合わせて家族で休暇を楽しみます。 大都市の集中しているヘルシンキを中心とする南部地域の休みの時期は、北のスキー場、ホテル、飛行機は全て予約で一杯となります。2月も下旬になりますとラップランドでも日照時間が少し長くなり、気温も厳しさが緩んで絶好のスキーシーズンとなります。 今年はフィンランドも暖冬でヘルシンキでスキーができたのは、ほんの数日程度でしたから、北に向けての家族単位の移動は多かったようです。スキー場といっても起伏の少ないフィンランドのことですから、コースは長くても1キロ弱、Tバーリフトが主流です。しかし、スキーセンターを中心にホテル、コテージが配置されて見事に景色に溶け込んでいます。コテージにはサウナと暖炉が必ずついていて、スキーで疲れた体を癒してくれます。そしてほのかな暖炉の炎は夜長の会話を一層暖かく包んでくれるのです。木の香りの中で過ごす一週間は家族にとって、心身ともにリフレッシュするよい時間なのです。
2002年9月15日 日曜日 オーロラの夜のサウナ
ヘルシンキから北へ1,200キロ、北極圏に位置するイナリというラップランドの小さな町。ここは、ラップランドの人々の中心地。フィンランド第二の湖イナリ湖から水上飛行機で進路をさらに北へ。ロシア、ノルウェー共に国境から10キロ地点の友人の地に無事着水。彼の愛犬が出迎えてくれました。今ではフィンランドでも珍しくなったスモークサウナにての歓迎。サウナ室内にあるストーブに薪を入れ、扉を少しだけ開けて静かに焚き続けるのですが、煙突がないので室内に煙が蔓延、温度が上がったところで扉を大きく開けて、煙を追い出してからサウナ室に入り、ストーブの上の石に水をかけ、湿度を上げて体感温度を上げます。体中すすだらけになるのですが、軟らかな温かさは他のサウナの比ではありません。火照った体を涼ませるために外へ出ると夜空には一面緑色のカーテン、一秒として同じ姿を見せないオーロラの営みには、時を忘れて見入ってしまいます。原生林の中のサウナそしてオーロラ、自然と共に生きる素晴らしさを知っているフィンランド人にとってサウナは、文化そのものなのです。