2026-10 高齢者の欧州旅行 5
1日遅れにはなってしまいましたが、なんとかヘルシンキ空港へ辿り着きました。勝手知ったるフィンランドです。訪れるのはすでに100回を超えています。ただ色々と制度が変わって大変です。空港でまず、Rのキオスクで近郊の交通機関を利用できる1日券を購入しました。以前は、2日、3日券と買えたのですが、2日以上はアプリを入れないとダメなようで年寄りは諦めました。空港は、隣のバンター市なので、ゾーンABCを選びました。空港駅からヘルシンキ中央駅へ向かいます。
私が、最初にヘルシンキ駅のホームへ降り立ったのは、1971年4月24日、モスクワ経由で、小雪が舞うホームには、まだ屋根の架っていない時代でした。ホームから駅舎へ入る木造の扉がアルミの自動ドアに変わっていました。表の大きな扉もと心配になりましたが、こちらは健在でした。いつも思うのですが、駅から出た時の景色は、変わっていません。店舗の色彩に変化わありますが、建物そのものは、私が55年前に見た記憶と同じです。駅の周りは再開発で、新しいビルが、どんどん建てられているのですが、駅前のファサードは。妙に私を落ち着かせてくれます。青春時代、自分が住んでいた町を甦らせてくれます。一つ先の通り、ALEKSIアレキサンテリン通りに並ぶ建物も店舗は変わっても、ほぼ昔の姿です。フィンランド最大のデパート、ストックマンも旧館は、あんな大きな工事をしたにも関わらず、昔の雰囲気を残しています。
今回姉は、初めての北欧、フィンランドですので、まずは市内観光です。足が弱っているので、基本トラムを使いました。ヘルシンキは実に市電がキメ細く走っています。また新型車両が目につきました。
南港の定番の朝市、ストックホルムからのフェリーはまだ着いていません時計を見ると9時は回っています。ViikingLineをチェックして見ると午前10時になっていました。時代の変化なのか、フェリーの時代でないのかわかりませんが、色々変わっています。大聖堂、ヘルシンキ大学を見て、旧アラビアの工場へ向かいます。姉も北欧の食器が好きなので、ショップで買い物です。本来2泊の予定でしたから、ゆっくりヘルシンキを散策するつもりでしたが、午後は、もう空港へ向かわなければいけません。市内へ戻り、エスプラナーデで再び、姉のお土産のためのショップへ向かいます。いつもは、FAZERで窓の外を眺めながらコーヒーを飲んでいるのですが、今回は断念です。仕事以外で、フィンランドを訪れるのは、何十年ぶりですが、いつもより時間がないのは、なんという皮肉でしょうか。でも、母のおかげでほぼ、何事もなく姉弟での欧州旅行を無事終えたということは、感謝の一言です。
フィンランド、何もできなかったので、今度また、仕事と友の墓参りに出かける予定をたてようかと思っています。
2026-10 高齢者の欧州旅行 4
夜行列車ではなく、昼間の列車で大正解だった素晴らしい景色を満喫してのベルゲン到着でした。街中にひっそりと建つ小さな駅でした。もちろん列車で訪れるのは初めてです。あまり前のことなのではっきり覚えていませんが、多分前回は、飛行場からタクシーでまっすぐ港の近くのホテルへ直行した記憶です。今回は、町の真ん中に位置する、ホテルでした。早速、散歩に出かけましたが、港へ向かうとどうも雰囲気が違います。大きなフェリーターミナルで、漁港のイメージはありません。地図を見ると、どうやら目的の港は、隣のようです。長い列車旅でしたので、次の日の朝、出かけることにしました。
朝、目的の港へ、古い木造の倒れそうな建物が並ぶ、漁港のイメージでしたが、時間は、景色もずいぶん変えてしまいます。大きなクルーズ船から、降りてきたと思われる観光客が目につきます。朝市も露天ではなく、アーケードになっていました。インバウンドの力は、街を活性化するのかもしれませんが、情緒というものも、思い出とかしてしまうのですね。
前回は、乗らなかったケーブルカーに乗って、山頂からベルゲンの街を一望することにしました。もちろんここも、観光客で溢れていました。10分弱の乗車ですが、360度展望できる良い景色でした。山頂駅から、散歩道があって登っていくと、自然公園のような雰囲気です。岩肌が剥き出しになっていて、つくづくノルウェーという国は、岩盤の上に築かれたのだと思いました。
次の日は、ノルウェーからフィンランドです。
ここで、大失態です。ベルゲン空港へ到着して、カウンターへeチケットを提出すると、もう搭乗は締め切られたというのです。次の便は無いと言われました。おまけに、この空港に、発券機能はないというのです。ベルゲン市内へ行っても同様とのことです。ネットでの購入しか方法は無いというのです。多分、彼女の担当時間は過ぎたのでしょうが、親身になってネットの方法を教えてくれました。ただ、スマホのシステムが、違い埒があきません。ここで決断です。ベルゲン駅へ戻り、再び列車でオスロへ向かい、オスロ空港からのヘルシンキ最終便に挑戦です。まさか、この列車を往復するとは思っていませんでした。オスロ駅へ到着、走るように空港行き列車に飛び乗り無事、空港到着、タッチの差で、最終便には間に合いませんでしたが、翌日、午前のヘルシンキ便をゲットしました。姉は、疲れたのでホテルで休みたいというので、空港近くの2軒のホテルにあたりましたが、残念ながら全て満室でした。オスロ市内へ戻る考えは、私は全く持ちませんでした。空港の出発ロビーには、24時まで営業のレストランが、何軒かありました。朝一番の飛行機は5時です。完全な24時間空港です。空港泊を決めました。ロビーの椅子を埋め尽くすほど、朝を待つ人々がいるのには驚きました。翌朝、出国の人数と、各ゲートの広さには、目を見張りました。多分ギリギリでは、搭乗できなかっただろうと納得しました。
2026-10 高齢者の欧州旅行 3
朝、ミラノ中央駅。前日、切符の買い方を調べておいた通りに実行。画面の指示に従って空港行きのチケットをVISAカード挿入で無事購入。自動改札に何度タッチしてもゲートは開かない。駅員に尋ねると、ここを通れと難なく通過。意味がわからない。ホームを探しても、全部国際列車表示ばかり、ホームもスイス、ドイツの列車が並んでいます。再度駅員に問いかけ、影の端のホームに空港行きの列車が来るとの指示。確かにスーツケースを持った人たちが並んでいました。また、パリのような行列に並んで、無事オスロ空港到着です。大きな飛行場でびっくりしました。北欧は、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー三国のSAS航空が空路を占めていると思っていました。ノルウェー航空が、ヨーロッパをこんなに飛んでいるとは思ってもいませんでした。空港からノンストップの列車で、オスロ駅到着です。何度かオスロは訪れているのですが、私の記憶では、市庁舎、朝市で甘エビを売っている港、近くのノルウェー王宮そして広いヴィーゲラン彫刻公園、ヴァイキング博物館です。市の中心部はそこだと思っていました。駅は中心地からは離れていて小さな建物の記憶です。
全然記憶とは異なり、私の記憶の駅舎は、ショッピングモールに隣に大きなオスロ駅が建ち、目の前の海はオペラハウス、港には大きなクルーズ船が着いていました。高層ビルが並び、建設中のビルも多く見られ、今やきっとここがオスロの中心地です。ここに、当初の予定と異なり1泊です。夜行列車で、ベルゲンへ入るつもりでしたが、土曜日は夜行列車が走っていないことがわかりました。翌朝、早い列車でベルゲンへ向かうことになるのですが、これは大正解でした。前半は、ただのどかな車窓の景色でしたが、標高が高くなっていくにつれて、岩山等々、飽きることのない景色が右に左に次々、現れるのです。4時間ぐらい経ったでしょうか、列車はMyrdal駅に到着しました。乗客の半分以上がここで下車です。かなり高齢のご夫婦等、みなさん重装備です。トレッキング、登山そんな感じです。ここから有名なフロム鉄道へ乗り換えのようです。
私も昔、ノルウェーをヒッチハイクで旅していた時、たまたまこの鉄道に乗って、スイスとは異なり標高がさほど高くないのに、緯度が高いゆえにスイスのような景色に出会えたことを覚えています。
列車は、再び岩山、湖の景色を楽しませながら、ベルゲンへ向かいます。機関車が、窓から絶えず見えるようなカーブを幾度と繰り返し、標高を下げていきます。多くが単線なのには、驚きです。交差のための停車がなん度もありました。大きな街並みが見えてきて、ベルゲン到着です。港と比べて小さな駅舎です。
2026-09 高齢者の欧州旅行 2
早朝、娘に教えてもらったUberで予約を入れたタクシーでリヨン駅へ向かいました。北駅同様、記憶にない地下3階に到着、地上を目指します。リヨン発ミラノ行きの直通列車です。年寄りは、乗り換えをミスると大変ですので、あえて早朝の直通列車を予約しました。ビジネスクラスでしたので、ゆったりとしていました。フランス発ですので、私はTGVかと思っていましたが、イタリアの車両でした。もちろん今のヨーロッパは、ドイツのIC、スペイン、イタリアと高速鉄道を持っていますから、遜色はありません。私のイメージは、のんびりと、時には、レストラン車両へ行って車窓を見ながら食事をする考えでしたが、残念ながら、昔と違ってヨーロッパもそんな優雅な車両ではありませんでした。でも、パリを抜けるとのどかな車窓は、飽きることなく移り変わる景色を楽しめました。日本の新幹線と違い必ずしも高速専用線を走らないので街並みを楽しむことができます。途中、長く停車して乗客がほとんど降りました。理解しないでいると、車掌さんに隣の列車に移動するようにと指示がありました。並行した列車にお互いの乗客が移動です。もちろん指定席はそのまま同じです。直通列車なのに、いまだによく理解でできないのですが、国境における運転手の交代なのでしょうか。それなら人員だけで良いですよね。
ともかくミラノ中央駅へ到着です。列車でミラノへ来るのは、多分50年ぶりです。相変わらず威厳のある大きな駅舎ですが、ここも階下が大きく変わっていて驚きました。タクシー乗り場を探すのに一苦労でした。正面には車が全然ないのです。
ふと、右手を見ると懐かしいピレリービルが、外装の改修工事をしていました。昔、夕日に輝くピレリービルほど美しいものはないと、1960年代を代表するジオ、ポンティの設計になる有名な高層ビルでした。イタリアのタイヤメーカー、ピレリーの本社ビルでしたが、現在はなお、州の庁舎として生き続けているようです。
ホテルに入り、翌日は観光です。お決まりの大聖堂、ドゥオモで昼食、
私の記憶しているミラノ城?スフォルツェスコ城を見て、セントピオーネ公園へ向かいました。広さと巨木の多さに驚きました。樹木って、こんなに大きく育つものなのですね。こんなところで、愛犬と毎日散歩したら楽しいだろうなと思いました。明日は、ミラノから飛行機でオスロです。
2026-09 高齢者の欧州旅行
母が、100歳で亡くなり、残してくれた郵貯の貯金、せっかくだから、姉弟で、ヨーロッパへ旅をしよう、ということになりました。各々、何度もヨーロッパへは出かけているのですが、姉がエッフェル塔へは、登ったことがないというので、まずパリが選ばれました。私は、テレビで、パリオリンピックの開会式の様子を観ていて、この喧騒が過ぎたら久々のパリを訪れたいと、なんとなく思ってまいました。記憶にあるだけで8〜9回は行っていると思いますが、ずいぶん前のことです。幸い高温のヨーロッパは過ぎ去りました。札幌を早朝のバスに乗り、千歳から羽田空港。国際線ターミナルへ移動して無事搭乗を終えました。私の最初のパリはもちろん飛行機ではなく、学生時代、シベリア鉄道を経由して北欧に入り、そこで2ヶ月アルバイトで旅費を稼ぎ、ヒッチハイクでのパリでした。時間を経て勤めてからは、飛行機による定期コース、アンカレッジ経由のパリです。当時、シャルルドゴール空港は、建物内を、エスカレーターが交錯する未来を予感するようなターミナルでしたが、ドゴール2が出来てからは、直線の合理的な移動の空港という記憶がありました。ところが、いざ今回、到着すると、だらだらと歩かされ、挙げ句の果て、延々と続く入国の行列です。要領の悪い指示、いつまで待たされるのかと思いました。ロンドン、ヒースロー空港を彷彿させます。たまたま、休暇で長男がデンマークからパリへ移動してくれて空港で、合流できました。何せ、ロートルが3名ですから、心強い限りです。空港から、北駅への切符もわからない機械と睨めっこすることなく入手できました。
北駅へ着いて驚いたのは、記憶と全く違う駅でした。駅舎らしきものに覚えはあるあるものの周りは、多層階の構造物です。廃墟となっていたオルセー駅を見たという記憶がある私は、オルセー美術館に生まれ変わった時は、感激しましたが、ただただ時代の流れを感じました。
ホテルに入り、次の日は、第一の目的のエッフェル塔です。昔は、カルネという地下鉄の回数券を買って、路線の最終駅を覚えて、ひたすら市内見学をしたものですが、システムが変わって、ちんぷんカンプん、これも息子の手助けで、無事一日券を買うことができました。9月に入ったせいか、多くの観光客の後ろに並ぶといった混雑はありませんでした。私もエッフェル塔は本当に久しぶりです。エレベーター越しに見るパリは、やはり歴史ある都市を感じさせます。鉄骨の細いことには、今更ながら驚かされました。記憶にある錆だらけの鉄骨は、きちんと塗装されていました。
昔、新パリと言われ訪れたディファンスも、今回は塔からの眺望で見ることができました。お決まりの、凱旋門、シャンゼリゼ通りを歩いてノートリダム寺院を見て昼食です。明日は、早朝パリリヨン駅を経ってミラノです。
2026ー04 サウナ 考察
日本におけるサウナブームは、若者の増加をともなって、落ち着いたと言えるのでしょうか。サウナストーブへ水をかける正しい使い方が、定着してきたことは、喜ばしいことだと思います。『ととのう』という言葉の使い方は、別にして、LÖYLYという難しい撥音のフィンランド語が普通に使われていることには少々驚きです。Ö,Yは共にフィンランド語では、母音ですので日本人には発音のしにくい単語です。
私の、ニセコのコテージには、建物の中に、電気ストーブのサウナ室、屋外には、別棟のサウナ小屋があって、そこは、薪ストーブに薪を燃やして入るサウナです。サウナは、一般的に、電気ストーブ、薪ストーブのサウナに分かれます。その他、スモークサウナという特別のサウナがあります。フィンランド全土でも、数年前に500を切ったと聞きましたので、現在はさらに棟数を減らしていると思います。私もニセコで、スモークサウナを作ろうと図面は書きましたが、年に数回しか入らず、入るまでに数時間と労力を費やすことを鑑み作ることを諦めました。フィンランドの友人で、何人かは、スモークサウナを持っていましたが、ラップランドの友人、窓の会社の社長は、共にすでに旅立ちました。現在、私の友人で持っているのは一人だけになってしまいました。
ニセコの建物の中のサウナは、電気ストーブですが、3面はシルバーパインで残りの壁は、特注のもみの厚いログパネルですので、普通のサウナ室に比べると体感がとても柔らかです。外のサウナ小屋は、丸太で直径23cm、26cmの交互に積んでいる特殊丸ログです。床はタイルで掃除をし易くしてあります。天井は、シルバーパインの引き割り板で仕上げています。築35年で、年に30−40回は使用していますので、1000回は越していると思います。
夏ですと、火を入れて20分、厳冬期でも、1時間くらいで入ることができます。薪は全て、敷地内から、調達しています。もちろん、チェンソーで自ら伐採して、割って2年くらい積んで使用します。もちろん、火力が強い方が早く温まりますので、木の選別も重要です。針葉樹は、火力はありますが、広葉樹の方が、だんぜん火持がいいです。室温が上がったら、入り時かというとそうではなく、壁面が一定の温度にならないと空気が安定していません。ですから、壁面を触って温かくなっていればOKです。
長年、サウナに入っていて、スモークサウナがなぜ理想なのか、色々考えてみました。煙を追い出して、入った時決して熱くないのです。煙突のない、石を積んだサウナストーブに、水をかけると、静かに熱い空気が伝わってきます。水をかけるたびに、静かに、静かに伝わってきます。たぶん、この暖かさが心地よいのだと思います。
最近、外のサウナに入る時、色々試行錯誤を繰り返しています。最初は、強い火力でストーブへ薪を入れますが、一定の温度になった後は、白樺の薪を少しずつ入れています。白樺は、あまり火力が強くありません。ですから暖炉に薪を入れるときは、厳冬期は、白樺は、室温を期待通りに上げてくれません。暖炉は、ナラ、タモが、回数も少なくてすみ、火力も期待できます。反対に薪のサウナは、残火の火力のように、細い白樺を時間をかけて燃やし続けると、理想のサウナ室になるのではないかと、今更、色々、温度の変化を試しています。いずれにしても、サウナ室を出て、羊蹄山を眺めながら、小瓶のビールを飲むひとときは、最高です。
2026ー03 大きな木伐採
ニセコのコテージ、築35年を過ぎると、当然まわりの木も成長します。建築当時、道路から敷地に入ると一面、熊笹と細い白樺に覆われていました。基礎工事のために熊笹を刈って遣り方をだしスタートしました。緩やかな登り坂の奥に、建設地を設定しました。この時点でまだ、シルバーパインのログは、フィンランドを出発していません。この時、建設のために切り倒した樹木は、わずか1、2本でした。年数を経て、庭の白樺は、我先にと、どんどん上へ伸びていきます。太くなれずに上へ行きますので、ヒョロヒョロの白樺では、様になりませんので、間伐が必要になりました。30本は、伐採したと思います。いつの間にか、チェンソーも難なく使えるようになりました。暖炉の薪は、全く不自由なく自分の敷地内で、入手できています。家の周りは、くるみの木も多く育っているので、いつもエゾリスが、庭を走り回っています。秋の枯葉の片付けは、いつも大変ですが、伸びた枝が、屋根にかかり、屋根にも落ち葉が多く降り注ぎます。雪のあるうちに、この枝をなんとかしようと今年、一大決心をして、まずは、建物の北側の大木を伐採することに決めました。20メートルは有にあります。幹は直径50cmを軽く超えています。さらに上で3本に大きく分かれています。見るからに大変そうです。友人と二人で、75歳を過ぎた祖父のやる仕事ではないことを自覚しながら、まず、ビデ足場を2段組みました。梯子を木に掛けて高いところの枝にロープを縛ります。安全な離れたところの木にロープを縛り付けチェーンブロックを用意してまず、倒す方向へテンションをかけます。足場に登り、チエンソーで切り込みを入れます。程よく切り込みが入ったらチェンブロックで引っ張りながら切り込みを深くしていきます。1本目の枝は、少々思った方向ではなかったですが、程よく切り倒しました。友人が、これ以上倒すのは無理かもしれないと、言い出しました。屋根に上がって、再度検討です。大丈夫倒せる、再び作業開始。今度は、屋根からの作業。枝切り用の長いマキタのチェンソーの登場です。これが結構優れものでした。小さいのに力が強くどんどん幹に食い込んでいきます。18Vx2の力です。エンジンのチェンソーに負けていません。予想外の速さで、切れたので、倒れるのではなく、真っ直ぐ下に落ちました。結果オーライでした。3本目は、思った方向ではなく、屋根に倒れました。これも、屋根に雪が残っていましたので、どこも傷つけることなく、無事、伐採終了です。我々の仕事は、いつもこんなもんです。普通、薪のサイズ、40cmの輪切りに刻んで運ぶのですが、過酷な労働で、チェンソーは焼けついています。大きく切り分けそりで運搬です。重労働を終え、外のサウナで疲れを癒します。ビールを飲みながら、残った幹を見ながら少し景色の変わったことに気づきます。静かに外が暗くなっていきます。35年この景色を見ていたんだなと、少し、幸せを感じます。
2026 ニセコ 屋根の雪下ろし
築35年を、迎えたニセコのシルバーパインのコテージ。フィンランド人は、多くの人々が、週末を過ごすログハウスを持っています。そのフィンランド人の憧れのログハウスがkelohonka希少な立ち枯れのパイン、通称シルバーパインのログハウスです。私は、横浜から船に乗って、シベリア鉄道を経由して、フィンランドと関わって今年で55年になります。当時大学生で、休学して1年ヨーロッパ、アフリカ、アジアを旅して帰国しました。大学生活を終えて、また、フィンランドの大学の学生生活をはじめました。遠い昔の話ですが、日本へ帰ってからは、就職して、それから1984年暮れに、自分の会社を立ち上げました。フィンランドで関わった人々に助けられ、建築関係の輸入を手がけるようになりました。設計業務の仕事と並行して、当時有名ではなかったサウナ事業、ログハウス、木製サッシ等、フィンランドと関係の深い仕事をこなしました。日本は、バブルの最盛期でした。ものすごく多きなプロジェクトに関わらせていただき、フィンランドからの、材料の輸入を一手に引き受けました。約5年の期間中、一番忙しい時は1年間、2週間、フィンランド、2週間日本という生活を続けました。今から思うとメチャクチャな仕事人間でした。そんな中、フィンランドの友人から、お前も少しはフィンランド人のような生活をしろと言われました。フィンランドの学生時代、何の根拠もなく将来自分のコテージを建てようという夢を持っていたことを思い出しました。当時、リゾートブームでしたから、早速、建設地を絞りました。スキーリゾート、将来的に残るのは、ニセコと判断して、知人のつてで、土地を手に入れました。サンタクロース村で有名な、ロバニエミ市のゼネコンの知人は、コテージを立てるなら、シルバーパインのコテージに限る、材料の手配、建築は我が社に任せろということになって、大きなプロジェクトの苫小牧のゴルフ場と、ニセコの建築現場へ足を運ぶ毎日となりました。5月の頭に基礎工事を終えて、フィンランドで加工組み立てを終えたシルバーパインは、解体してコンテナに積み込まれ、長旅を終えてニセコへ到着です。それから、過酷な仕事をこなして、翌年3月の竣工を迎えました。それから35年、多くの、気の遠くなるようなメンテナンスを経て、今年も、恒例の屋根の雪下ろしを迎えました。札幌同様、今年は、大雪でした。屋根の谷で深いところで2mはありました。11人の集まってくれたメンバー、流石に1日では終えることができず、翌日の午前中までかかりました。みなさん、疲れ切ったと思います。参加していただいた面々に感謝の気持ちしかありません。夜のサウナ、飲み会、集まれる場所として、楽しんでもらえるコテージは、疲れを、置き去りにして、空間、楽しい時間を今年もまた、共有できました。
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2025-10 ニセコ サウナ小屋
10月、今月も終わろうとしています。暖かい季節にフィンランドへ行こうと思っていましたが、未だ一定の仕事量が入ってきません。当社の一番の輸入品である、木製窓の工場も、久しく訪れていません。DOMUS社のときは、仕事以上に、社長と世間話というか、顔を見るだけのために、年に最低1回は時間を作っていました。親友を失うことは、フィンランドへ行く動機さえも薄れさせています。そうは言っても、何とか年内には行こうとは、思っています。
ニセコもそろそろ、落ち葉の片付けを終える季節になってきました。何せ、落ち葉の量が多いのです。くるみ、白樺がメインですが、毎週末、一輪車で4、5回運ぶ量の落ち葉が、石畳一面に広がっています。リスも、くるみ、栗を集めるべく、忙しく動き回っています。
この季節になると、外のサウナ小屋のストーブに薪をくべるのも、夏ですと30分かからずに入れるのに、1時間近く薪を炊いていないとあたたまりません。小屋の外には、薪を積んでいるのですが、防腐の材を敷いて薪を置いています。この材料でも年数が経つと腐ってきます。同じことの繰り返しに今回は少々嫌気がさしてきました。下段の薪が濡れるのも気になっていました。そこで、思い切ってコンクリートの基礎を打つことにしました。旧東ドイツ製のコンクリートミキサーを車庫から取り出し、セメント、砂、砂利をホームセンターから買ってきて、作業の開始です。周りを掘って、型枠を廻して、鉄筋を組んで、コンクリートを流し込みます。コンクリートミキサー1回で多分0.5立方メートル位のコンクリートが出来上がると思います。モルタル用のバケツで4、5杯分です。これを1輪車に乗せ、運びます。これを何度か繰り返して、ようやく基礎へコンクリートを流し終えます。
とても年寄りのする仕事ではありませんが、コテージのメンテナンスを30年以上続けていますので、体が慣れているのと、年はとっても、性分ですから適当な仕事が嫌いなので、老骨に鞭打って続けています。週末を優雅に過ごす雰囲気は、日中は全くありませんが、サウナに火を入れ、体が温まったら、外のベランダに腰掛け、瓶ビールを飲みながら、羊蹄山を眺めるのは、まさにリゾートの休暇です。
11月に入りましたら、裏のベリー類の冬囲いです。雪が多いのでしっかり囲わないと、ブルーベリーは枝が折れてしまいます。除雪機の整備も終えて車庫に、いつでも出動できるように待機しています。以前は、除雪機の整備も自分でやっていたのですが、ハイブリットになると、ベルトの交換も複雑で大変ですので、これは専門の会社にお願いしています。ただし除雪は、自分でやりますので、また大変な季節の到来です。
2025-09 ニセコ 石だたみ スロープ
9月、今月も今のところ出張の予定がたちません。ニセコ、久々に週末、石畳の補修をしました。石畳の工事を始めたのは、1997年コテージが、竣工してから、6年目でした。その前は、基礎がコンクリート剥き出しでしたのでフィンランドから取り寄せた暖炉用の石Raakakiviをこば積みして仕上げました。恐ろしいモルタル量でした。
石畳の石は、もちろんフィンランドから仕入れました。約10cm角のサイコロいわゆるぴんころ石です。フィンランドの岩盤によく見かける花崗岩です。比重は、2.6 ですから1個2.6kgあります。ヨーロッパでよく見かける石畳は、並びが均一で、私には面白くないので、前庭のマンホールの蓋の円から、放射状にパターンを広げることにしました。
最初は、ブルトーザーでスロープを平にしてもらい、砂利を敷いて転圧して、山砂を10cmくらいに敷き詰めてもらいました。普通の砂ですと、石を敷くとき反発力が弱いそうです。ここからは全て、私一人の手作業です。フィンランドから、コンテナに小型の200vのコンクリートミキサーを入れてもらいました。
最初の仕事は、石畳スロープの縁石の設置のための縁石の基礎作りです。ダンプトラックに今度は、普通の砂を運んでもらい、コンクリートミキサーで生コン作りを繰り返します。基礎ができたら、縁石をモルタルで固定していきます。縁石が完成したら、いよいよ石畳に取り掛かります。釘で山砂に円を描きながら、一個ずつ石を配置していきます。セットハンマーで少しずつ埋めていきます。何列か出来上がったら、砂を石の間に入れて、手で隙間を固く埋めていきます。均一に上から砂を撒いて、平プレートランマーで締め固めます。
仕事をしていますので、当然作業は週末しかできません。この繰り返しをして、門までたどり着いたのが、2000年7月、3年以上の年月を要しました。使った石は、24、600個、縁石は、750m、建物横のスロープは縁石を敷き詰めて仕上げています。実に使った石の総重量95トンです。
輸入の仕事をしていますので、当時2ヶ月おきにコンテナが、入ってきますので、その中に、丈夫な袋に入った石を3、4袋コンテナの隅に納めて運びました。
当時は、門の左側に別棟の倉庫をログハウスで建てる予定でしたので一部部分は、縁石が欠損していました。時間が経つと縁石がないと石に押されて沈んでいきます。
今回、倉庫の予定も無くなったので、縁石を繋げることにしました。基礎になる部分を掘って、型枠をつけて、コンクリートを打設します。当時、ニセコは、ダンプで砂を注文できたのですが、北海道新幹線工事で、砂の大きな注文ができません。ホームセンターから、20kgの砂を買わなくてはいけない時勢です。縁石をセットして、石畳の補修にかかったのですが、暑さのせいもあるのですが、かなりの重労働でした。20年以上も前、若かったとはいえ、今更、よくこの石畳を完成させたと思います。

































